トット「ツッコミもボケも僕、多田は『多田』で」

2020.4.1 08:00

写真左から、多田智佑、桑原雅人。トレードマークは、おそろいの緑のスーツ

(写真9枚)

「桑原が頑張っているのを『いけいけ!』って応援したい」(多田)

──2016年の『NHK新人お笑い大賞』を獲ってから、自分たちを取り巻く環境も特に変わったのではないですか。

多田「そうですね。あの時期から、お笑いだけでご飯が食べられるようになったんです。バイトをやらずに生活できるようになりました」

桑原「大阪であれば10年以内に何か賞を獲るかどうか、これがはっきりした線引きになる。『NHK新人お笑い大賞』はすごく自信になったし、反応が変わったように感じました。そしてここまでやってくることができた。リバープレイスで練習していた当時の連中も、今では解散していたり、吉本から別の事務所へ移籍していたり。ほとんどいなくなってしまった」

──トットはそんななか勝ち残り、ついに4月から東京へ活動拠点を移されますよね。ただ、2018年8月にYouTubeで配信された「なんばグランド花月チャンネル」のなかで、多田さんは「東京のお笑い番組はおもしろい人がいっぱいいるから出たくない」とおっしゃっているんですよ。

桑原「多田ちゃんはそれ、よく言っている。芸人がお笑い番組に出えへんってどういうことやねん」

多田「ザ・戦場みたいなところが苦手だから。むしろ、桑原がそういうなかで頑張っているのを見て『いけいけ!』って応援していたい」

多田が話すときは、見守るような目になる桑原。コンビが続いた秘訣は、「仲が良いというのはあると思います。そして、先輩がすごい方がいっぱいいて見てくれるしアドバイスしてくださった」と語った
多田が話すときは、見守るような目になる桑原。東京行きを決めるにあたって、自分たちの成長を感じてたそうで、「舞台ひとつ、仕事ひとつでも、ビクつきが少なくなってきましたね。もともと、初めての現場とか知らんとこは怖くて、ホームに強いコンビやった」と多田が話すと、「いや誰でもそうやろ。一番ダサイな」と桑原

──そんななか、お笑い番組で「この人は恐ろしいくらいおもしろい」と感じたのはどなたですか。

多田「やっぱり明石家さんまさんです。『痛快!明石家電視台』(MBS)に出演したとき、生のさんまさんがスタジオに出てこられた瞬間、めっちゃテンションが上がりました。いつも挨拶のとき、お客さんと一緒に『パン、パパパン』と手拍子するじゃないですか。あのとき、テンションがマックスでしたね」

桑原「いやいや、ちょっと待って。そこから番組が始まるねんで。何でそこでマックスを迎えてんねん(笑)。でも確かに、出演している芸人さんがみんな爪痕を残そうとしているなか、こいつだけはずっとさんまさんを見ているだけだった」

多田「さんまさんと目が合って、めっちゃうれしかった」

桑原「僕もお仕事を初めてご一緒したときは、『さんまさんって実在したんだ』と不思議な感覚になりました。多田ちゃんの天然エピソードをたくさん喋って、ウケて、『まだあるやろう?』とグイグイときてくださったとき、『よし、いける』と手応えを感じました。さんまさんから『お前ら、もっといけ』というメッセージを感じましたね」

多田「桑原がウケたから『いける』となって、僕も喋ったら、さんまさんから『それはいらんねん』と言われて。『お笑いってムズッ!』と思いましたね」

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