大阪とコロナ禍の軌跡、危機に直面した府職員がとった行動は

2020.5.31 09:30

今回のコロナ禍で大阪独自の策を講じた健康医療部

(写真15枚)

「走りながら決め、先手を打ったけれどうまくいかなかった」

医療崩壊という最悪な状況を予想し、宣言後はもっと陽性者が出ると試算していた健康医療部。4月9日の92人という数字は最高値であるが、「試算よりは低い数値だった」という。

緊急事態宣言後2週間たった22日、新規陽性者が31人になり、大幅に減少を見せ始め、陽性者に対する医療体制が追い付くことになる。そして、そのまま陽性者は急増することなく、医療崩壊を防ぐことに成功した。

「大阪府新型コロナウイルス対策本部」組織図
「大阪府新型コロナウイルス対策本部」組織図

この間のことを、「ひとつの局面が落ち着いたら、次の問題が起きた。部局では次々変わる局面に全力で対応して『走りながら』決めていた期間。先手、先手を打って準備していたのに、うまくいかなかったと思うことがたくさんあった。それが4月だった」と振りかえった藤井部長。

「日々増え続ける陽性者に、何とか医療体制も追いつけた。そのなかで、毎日どれだけたくさんの陽性者が出ても、決して諦めずに陽性者の状況を分析し把握した。そして、深夜になっても必ず陽性者の内訳を報道発表資料として公開した」と話す。

このデータの蓄積が、「大阪モデル」の代名詞となる出口戦略、入口戦略の4つの指標を生み出すことになる。

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