元チェッカーズ大土井裕二、全国を巡る今

2018.10.6 08:00
(写真6枚)

1983年にデビューし、音楽やファッションなど当時の若者に多大な影響を与えたポップスバンド・チェッカーズ。その屋台骨としてグループを支えたベーシスト・大土井裕二が、現在はアコースティックギターを片手に全国を巡っている。デビューから35年を迎えてもなお挑戦し続けている大土井に、デビュー当時の様子も交えて話を訊いた。

写真/本郷淳三

「田舎から集団就職のようにみんなで出てきた」(大土井裕二)

──まずは、裕二さんがチェッカーズに加入するまでを伺いたいのですが、ベースを持ったきっかけは?

小学生の頃、年末の深夜にキャロル(矢沢永吉・ジョニー大倉らによる伝説のバンド)のラストライブの模様がテレビで流れたんです。それを観て衝撃を受けて、これはバンドをやるしかない!と。で、真んなかで矢沢さんがベースを弾きながら歌っているのを見てたから、最初っからベースをやろうと。で、中学生の頃にバンドを組んで文化祭に出たのが最初。高校に入ってもバンドやって、ダンスパーティに行っては演奏してたんで、そこでメンバーと顔見知りになったのが加入のきっかけですかね。

──裕二さんの加入までは(藤井)尚之さんがベースを弾いていたと伺いましたが。

そうそう。俺が入るまで尚之が弾いてて。兄弟だからね。兄貴(藤井フミヤ)に「ベースはもういいから、サックスやれっ」て言われたんじゃないの(笑)?

──現在はもちろん、チェッカーズ時代も『ガチョウの物語』(テレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』で放送)や、シングルの『I Love you, SAYONARA』『Love ’91』など名曲を作られていますが、曲作りはデビュー前からされてたのですか?

アマチュアの頃から曲は作ってましたね。

──『ガチョウ〜』を作られたのはデビュー前だとか。

はいはいはい。そうですね。あれはアマチュアの頃に作った曲で、『あの娘とマッシュポテト』(シングル『涙のリクエスト』C/W)もそうですね。みんなそれぞれが、オリジナルで作り始めてはいました。

福岡県久留米市出身のチェッカーズ。実は「みんな久留米なんですが、俺は1回も住んだことなくて・・・。1人だけ違いますって言うのもめんどくさいんで、久留米ですってずっと言ってた(笑)」と明かす
福岡県久留米市出身のチェッカーズ。実は「みんな久留米なんですが、俺は1回も住んだことなくて・・・。1人だけ違いますって言うのもめんどくさいんで、久留米ですってずっと言ってた(笑)」と明かす

──デビュー当時、音楽番組でもアイドルのような扱いでしたが。

そうですね。でも基本的にはミュージシャンだと思ってましたね。見た目重視の一発屋的な感じで見られてたのはわかってましたし、最初は抵抗があったんですよね、やっぱり。あのカッコウから何からね。それまで、こう(とポマードを塗る仕草)やってたのが、いきなりツンツンみたいなね。でも、そのうち慣れるもんで、意外とおもしろがるようになって、楽しんでやってるうちに盛り上がってた感じですね。

──当時の周囲の盛り上がりを振り返ってみてどうですか?

一種、異常な感じですよね。いま、振り返ってみるとね。あの時代じゃないとありえない。今はね、みんなが知ってるアイドル的なものが無いじゃないですか。各自がそれぞれ違うものを見てる。当時の盛り上がりは、バブルが来て、いろんなものが大騒ぎしてるなかで、ブワーっていった感じがあった。でも、やってるときはおもしろがってやれたんで、別に苦なことは何ひとつ無くて。

──でも、寝られないほど大変な時期もあったんじゃないですか?

全然、寝てました。遊びに行って寝てなかったことはあるけど(笑)。確かに、初めて3曲ベストテン入りしたときは寝る時間が無いくらいで、あのときは住むところすら無いときがあって。テレビ局に行って、トイレで顔を洗ったり歯を磨いたりして、結構すごい時期はありましたね。まあ、そんなこんなあったけど、グループだったんでね。1人だと大変だろうけど、田舎から集団就職のようにみんなで出てきてるから。そういう意味でもおもしろかったですね。

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