「光る君へ」その後に理由…「関白」5つの家だけの特権階級、秀吉は“超例外”【豊臣兄弟】

1時間前

『豊臣兄弟!』第36回より。1985年7月、京・妙顕寺で関白に就任した羽柴秀吉(池松壮亮)(C)NHK

(写真9枚)

豊臣秀吉の名参謀と言われた弟・豊臣秀長(小一郎)のサクセスストーリーを、仲野太賀主演で描く大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK)。

9月20日放送の第36回「姫若子(ひめわこ)と鬼若子(おにわこ)」では、秀吉の関白就任の裏には、朝廷の長年のルールといさかいが絡んでいたことがほのめかされていた。それがどんな状況だったのかということと、報告のなかでしか出てこなかった「紀州征伐」について語っていこう。


■ 秀長が“総大将”の四国攻め…第36回あらすじ

羽柴(豊臣)秀吉(池松壮亮)は、関白になるために、五摂家の一つ・近衛家の猶子となることを目論んでいた。

近衛龍山(前久/前野朋哉)に、将軍ではなく関白職を望む理由を問われた秀吉は、将軍は武家の頭領に過ぎず、すべての民の上に立てる関白になったときの景色を見てみたいと答える。龍山は、本当は自分も秀吉のように、侍となって自分の力だけでのし上がってみたかったと告白し、猶子の件を承諾した。

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。羽柴秀長から贈られた着物を見て、涙する長宗我部元親([Alexandros]・磯部寛之)(C)NHK

注目度が上がり、速やかに四国征伐を済ませたい秀吉は、長宗我部元親(磯部寛之)の降伏を待つ総大将・小一郎にしびれを切らし、みずから出陣しようとする。

しかし、そこに蜂須賀正勝(高橋努)が現れ、かつて兄弟はお互いに通じ合っていて、自分はそこに惚れたと進言。関白もまた、自分が惚れた男かどうかと問われた秀吉は、出陣を取りやめた。やがて、小一郎のおかげで、四国平定を果たした秀吉は、晴れて関白宣旨を受ける。

■ なぜ「関白」は五摂家だけ?「光る君へ」を復習

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。1985年7月、京・妙顕寺で関白に就任した羽柴秀吉(写真右、池松壮亮)(C)NHK

秀吉が関白になったというのは、よほど歴史に関心がない人以外なら周知の事実だとは思うけど、彼は「天下人の器だから」という理由で、関白に抜擢されたわけではなかった。近衛龍山という貴族の猶子(養子)になるという、ある種チートな手段を使って、武士初の関白就任を実現できたのだ。

教科書ではただ「関白になった」ぐらいしか説明がなかったので、知らなかった人は多いんじゃないだろうか。なんでそんな面倒くさい手段を取らねばならなかったのかを、ちょっと調べていこう。

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。近衛龍山(前久)(写真右、前野朋哉)のもとへ養子になることを頼みに来た羽柴秀吉(写真左、池松壮亮)(C)NHK

まず「摂政・関白」という役職については、2024年の大河ドラマ『光る君へ』で履修済みの人は多いと思う。

貴族が娘を帝の后とし、孫が帝になったら外祖父として、幼いうちは摂政、成人したら関白として政の補佐をする・・・というのは建前で、実際は実権を握ったようなものだった。この摂政・関白の地位は、10世紀以降藤原家が独占し、『光る君へ』に出てきた藤原道長の時代に全盛期を迎える。

ただ、その子孫たちは、院政の時代に入るとどんどん分裂していき、最終的に「近衛」「九条」「鷹司」「二条」「一条」の5つの家に。誰が外祖父とかは特に問わず、摂政・関白の地位はこの「五摂家」で、だいたい順番に就任するという流れになった。

しかし、戦国時代に入ると、それぞれ京を逃げ出したり、相当な困窮状態に陥ったりして断絶の危機に。とはいえ織田信長(小栗旬)が京に入って朝廷を庇護すると、五摂家もその体制を立て直した。

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。羽柴秀吉(写真右、池松壮亮)の前に立ち上がり、養子を承諾する近衛龍山(前久)(写真右、前野朋哉)(C)NHK

そして秀吉が、金の力で朝廷に食い込んでいった時期に、次期関白職をめぐって近衛家と二条家が衝突し、「関白相論」と呼ばれる争いに発展。両家が秀吉に調停を願い出たところ、秀吉はいったんことを収めるために、自分が関白になることを提案。

五摂家以外は関白になれないというルールを死守するために、秀吉が近衛家の養子に入ることで、この例外措置が認められることになった・・・というわけだ。なので、当時の秀吉の名前は「藤原秀吉」となっている。

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。軍議に参加する羽柴秀次(山田涼介)(C)NHK

そして、秀吉の後には、龍山の息子に関白を譲るという条件が提示されていたが、秀吉は新しく「豊臣」という姓をたまわって、最終的に甥で養子の秀次(山田涼介)に関白を継がせることになる。

近衛家にとっては、完全にだまされた形だろう。そして将軍職となる「征夷大将軍」よりも高い位を得たことで、秀吉の天下取りはさらに有利な方向に動くことになったわけだから、改めてとんでもない策士・・・というか、権力のモンスターだったことが実感できた。

■ 和歌山県民、落胆…スルーされた“紀州攻め”

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。羽柴秀長の1000艘の大軍に驚く長宗我部元親たち。写真左から、土佐の戦国武将・長宗我部家の家臣・谷忠澄(堀部圭亮)、長宗我部元親([Alexandros]・磯部寛之)、嫡男・信親(林裕太)(C)NHK

そして今回、長宗我部元親の家臣・谷忠澄(堀部圭亮)の口から語られるという、思いがけない形で明らかになった紀州征伐の終了。紀州は織田信長も最後まで攻略できなかった、最難関エリアだ。

今は世界遺産となっている高野山や熊野三山のある広大な聖域であり、さらに「雑賀衆」や「根来衆」などの最強の傭兵部隊も存在するという、できることなら戦いを避けたい条件がそろいすぎた土地だった。

秀吉の紀州征伐は、四国攻めが始まる3ヶ月ほど前に開始。秀吉が、味方の大名をほぼ総動員したこともあり、1ヶ月という割と短期間で決着がついた。

秀次とともに副将として参戦した秀長は、褒美として和泉・紀伊国を与えられ、雑賀衆の基盤となっていた和歌山に居城を築いた。このときの普請奉行が、のちの築城名人・藤堂高虎(佳久創)だ。ただ、紀行でも解説されていたが、現在の和歌山城は紀州徳川家時代の復元となっている。

『豊臣兄弟!』第36回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第36回より。四国攻めの策を考える、羽柴秀長の家臣たち。写真左から、前野長康(渋谷謙人)、桑山重晴(住田隆)、吉川平助(松岡広大)、藤堂高虎(佳久創)(C)NHK

和歌山で新しい暮らしを始めた秀長だけど、つづいて大和国を加増されたため、半年もしないうちに本拠地を大和・郡山城に移してしまう。

とはいえ、秀長の紀州の統治はつづき、奥熊野で起こった一揆の鎮圧に手こずったり、建築ブームで熊野の材木が飛ぶように売れて、秀長にもかなりの利益が入ったりしたそうだ。初期の小一郎に見られた「守銭奴」キャラが、そろそろ目覚める頃かもしれない。

『豊臣兄弟!』第37回より。(C)NHK
『豊臣兄弟!』第37回より。大和郡山城に拠点を移した羽柴秀長(仲野太賀)(C)NHK

「大和大納言」という呼び名が一般的になっていることもあり、和歌山とのイメージがいまいち結びつかない秀長だが、日本最古とも言える聖地の勢力と渡り合ったり、地場産業を盛んにしたりと、この地の支配だけでもかなりの能力を発揮していたことがうかがえる。

もう少し和歌山城を拠点にする時代が長かったら「紀伊大納言」と呼ばれるようになっていたのかもしれない。

◇

大河ドラマ『豊臣兄弟!』はNHK総合で毎週日曜・20時から、NHKBSは18時から、BSP4Kでは12時15分からスタート。9月27日放送の第37回「秀長の国」では、秀吉から新たに与えられた大和国に拠点を移した秀長が、仏教界と領民たちの間に立って、統治を進めていく姿を描いていく。

文/吉永美和子


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