【関西レポ】アイドルはなぜ、地下で夢を見るのか!?

2017.11.16 06:00

サイリュームやペンライトと呼ばれる照明器具「ケミカルライト」を使って、ファンがライブを盛り上げるアイドルのライブの様子

(写真3枚)

地下アイドルはアイドルにあらず?

──平井さんはいつ頃からアイドルに興味を持ちはじめたのですか。

「1980年にデビューした松田聖子さんが歌っているところを見て、子どもながらにその輝きに衝撃を受けたんです。こんな人がいるんだ、と。それから、82年組(註1)、おニャン子クラブ、南野陽子さんにハマったりして。大阪の豊中に住んでいたので、千里セルシー(註2)でのりぴー(酒井法子)、西村知美さんなんかをよく見に行っていました」
註1:「82年組」1982年、小泉今日子、堀ちえみら多くの逸材がこの年にデビュー。「花の82年組」と呼ばれた
註2:「千里セルシー」大阪・豊中市にある複合商業施設。同所のセルシー広場には新人から大物まで多くのアイドルがライブをしていた

ポッター平井さんは現在45歳。1980年代にはアイドルのラジオ番組がたくさんあり、それらを聴くうちに構成作家を目指すようになった

──40年近くアイドルをご覧になってきた平井さんですが、地下アイドルという言葉を知ったのはいつ頃ですか。

「AKB48が出てきた頃なので、2005年くらいですね。それまでは地下アイドルという言葉は、私は聞かなかったし、地方を拠点に活動するご当地アイドルも今のように多くはなかったはずです」

──平井さんなりに、地下アイドルを説明するとしたら、どういう風に言いますか。

「まあ、やっぱり大手事務所に所属していなくて、フリーランス、もしくは小さい事務所ですよね。地上というか、大きいアイドルはテレビなどのメディアへの露出がメインですが、地下アイドルはライブが中心。地下アイドルや地方を拠点とするご当地アイドルの数が一気に増えはじめたのは、AKB48がブレークした2010年くらいから。私は当時、『KANSAIアイドルGENKIフェスタ』というイベントを開いていて、ハロプロ関西だったSI☆NA(2008年〜2011年)、ホリプロ関西のHOP CLUB(2001年〜2012年)、あとOSAKA翔GANGS(2006年〜)、Mary Angel(2007年〜2015年)など、大阪を拠点にするアイドルに出演してもらっていましたが、その頃からご当地アイドルというワードもちょっと出てきていましたね」

東京の大手事務所だけではなく、地方各地でアイドルがどんどん増えたことで、メディアや大きいコンサートといった受け皿も足りなくなり、活動場所をライブハウスに移しはじめた。メディアを主としないアイドル。地方で活動するご当地アイドル。この両方が同時期に乱立したことが、現在の地下アイドルの文化に繋がっているのではないか。振り返ってみれば2000年代前半まで、ライブハウスにアイドルがブッキングされていることはなかった。でも今は、大阪・アメ村のゴリゴリのライブハウスでも、地下アイドルが当たり前のように出ている。

アイドルはもともとメディアという高い壁の向こうにいて、事務所からのスカウトやオーディションといった難関を突破しなければアイドルにはなれなかった。でも、AKB48やももクロが掲げた「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーよろしく、ライブハウスだと手が届く。お客さんとしてアイドルを見に来ていた女の子が、そのグループに加入するということも珍しくない。誰でもアイドルになれるようになった。その一方で平井さんは、そういった地下アイドルの傾向に関しては疑問に持つ部分が多いとも語る。

「いや、スタートはそこで良いと思うんですよ。でも、アイドルをやるのであれば、有名になりたいとか、上を目指して欲しい。そういえば、橋本環奈は完全に地下アイドルだった。でも、誰かが撮った写真がネット上でものすごく拡散された。事務所の人もびっくりしていましたし。何も仕込んでいなかったから。でも、あれよあれよとメディアの取材が殺到した。ただ、自分が伝え聞いている地下アイドル像って、どうしても私が好きだった80年代のアイドルとはかけ離れてしまうんです」

──AKB48の登場から地下アイドルが増えてきたとおっしゃっていましたが、そもそもAKB48も、今で言うところの地下アイドルでしたよね。まあ、秋元康プロデュースではありますが。

「AKB48は専用の劇場があって、そこで毎日ライブをするというシステムが画期的でした。メンバーも今ほど多くないけど、それでも大人数だった。果たしてそれで毎日ライブをやって、運営は続くのかと疑問もありました。ライブでのし上がっていくというやり方が、全然想像できなかったんです。それは当時だから、真新しいことですよね。あと、AKB48の歴史を振り返ったとき、やっぱりSNSの影響が強かった。ライブを見に来た少数が、ツイッターやブログで広げていった。時代と合致していましたよね」

──たしかに、今のアイドルはSNS無しでは活動できないです。

「実際、パフォーマンスが良くなかったら拡散はされなかっただろうし、この子はいい素材だという原石もちゃんといて、2時間のステージがよく出来ていた。あと、ファンの声を聞き入れて、それを実行するスタイル。篠田麻里子なんかは劇場内のカフェ店員からスタートして、噂になって、グループに加入しましたし。総選挙だってもともとは、事務所が決めていた選抜メンバーに納得いかないファンの声があって始まったもの。当時は、今のようにメジャーなアイドルではなかったけど、しかし運営の体制が非常にきっちりしていた」

──何をきっかけに地下から地上にあがれるか、分かりませんよね。

「ただ、地下アイドルというフレーズ自体には、良いイメージが浮かばないんですよ。自分で地下を名乗ることで世界が狭くなってしまうし、しかも『その世界のなかでやっていれば、それでいい』という印象を私は持ってしまうんです。もちろん、地下の人たちをアイドルと言えるかどうか、それは見た人の判断。大阪には、地方とは言ってもすでに何百では収まらないくらいのアイドルがいる。だからこそ、行き当たりばったりでアイドルをやるのではなくて、アイデアと体制をしっかり作って動かないと、すぐ消えてしまいます」

取材・文/田辺ユウキ

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