「いざ本能寺!」深夜に23km歩く、過酷企画が人気のワケ

9時間前

過去開催の様子(写真提供/京都乙訓ふるさと歴史研究会)

(写真3枚)

天下統一を目前にした織田信長に、重臣の明智光秀が謀反を起こし、宿泊していた本能寺で討ち取った・・・日本史の事件のなかでも、おそらく知らない人はいないのではないかというほど有名な「本能寺の変」。光秀が挙兵した亀山から京都市内の本能寺跡地まで夜通し歩くことで、当時の明智勢の気持ちを体験できるイベントが、毎回定員が埋まるほど話題となっている。

■ きっかけは「明智光秀の目線で『本能寺の変』を考えてみたい」

主催するのは、京都府乙訓郡大山崎や、かつて乙訓郡だった京都府南西部エリアの歴史を研究・紹介する「京都乙訓ふるさと歴史研究会」。

5月24日に実施される『夜間行軍イベント 敵は本能寺にあり』は、そのなかでも全国から歴史マニアが集まる、屈指の人気企画。今回も告知から10日間ほどで、25人の定員枠が埋まったという。

7年前にこのイベントをはじめたきっかけは「本能寺の変と、その後につづく山崎の合戦の調査で、合戦場跡や城跡、寺社などをいろいろ回るうちに、明智光秀の目線でこの出来事を考えてみたいと思うようになりました」と会長の中西昌史さん。

過去開催の様子(写真提供/京都乙訓ふるさと歴史研究会)
過去開催の様子(写真提供/京都乙訓ふるさと歴史研究会)

光秀軍の行軍ルートには3つの候補があるが、中西さんはさまざまな書籍や各地の資料館関係者の意見を参考にして、「もっとも直線的で、軍事道路として拡張されていたから、主力部隊が動くのに一番妥当」と結論付けた「山陰道」ルートを採用。

午後9時に丹波亀山城大手門跡を出発し、旧山陰道の山道を抜けて七条通から中心部に突入。戦いがはじまる明け方までに、当時の本能寺の跡地(現在の堀川高校付近)に到着・・・という流れだ。

■ 夜を徹して本能寺に向かう…武士のパワフルさを実感!?

23kmもの道のりを歩きつづけ、深夜になると休憩中に居眠りする人が続出するというハードなスケジュールだが・・・。

「岐阜や愛知などからも申込みがありましたし、本当にびっくりするほど熱心な方々が集まります。なかには槍を持ったり、甲冑を着て参加するマニアックな方も。一度、丹波亀山鉄砲隊の方々が、かがり火を焚いて出発を見送ってくださったときは感激しました」といい、多くの歴史ファンに愛されていることがうかがえる。

そして実際に夜を徹して本能寺に向かうと、戦国時代さながらの山道がまだ残っている老ノ坂峠付近では「この暗さとこの場所で、どうやって進軍できたのか?」という疑問が生まれたり、本能寺にたどり着いたときには「このあと戦をして、落武者狩りをして、(光秀の領地の)坂本(滋賀県大津市)まで行くなんて、450年前の人たちはどんな体力してんねん!」と、当時の武士たちのパワフルさを実感することになるそうだ。

過去開催の様子(写真提供/京都乙訓ふるさと歴史研究会)
過去開催の様子(写真提供/京都乙訓ふるさと歴史研究会)

終了後には「明智軍を体験できて楽しかった」という感想が、多く寄せられるというこの企画。来年も開催される場合は、この時期に告知されるそうなので、気になる人はチェックしてほしい。そして今年の秋頃には、本能寺の変からわずか11日後の山崎の合戦で光秀を破った、豊臣秀吉ゆかりの場所をめぐるウォーキングツアーを実施する予定だ。

「現場に立って、歩いて、やってみて、初めて感じることやわかることがたくさんあります。私たちが教えるのではなく、参加者自身に発見してもらいたいし、そうした感動を多くの歴史ファンと共有したいんです」と中西さんは語る。

ほかにも、ただ歴史を教えるだけではなく、実際にその土地を歩いたり、当時使われたものを作ったりなど、体験型のイベントやレクチャーを多数企画している研究会。

今後の大きな目標は、一時期乙訓エリアを統治していた戦国武将・細川藤孝(幽斎)が主役の大河ドラマの実現。中西さんは「武芸に長けた武人であると同時に、博識多芸の文化人。室町幕府の13代将軍・義輝の頃から江戸幕府まで、つねに政権の中枢にいた人なので、壮大な物語が描けると思います」と期待を語った。

ちなみに、幽斎を演じてもらうとしたら誰がいいですか?「今は演技力が未知数ですが、八代目市川染五郎さん。娘のガラシャは、若き日の松たか子さんに演じてもらいたかったですね(笑)」。

取材・文/吉永美和子

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