島唄30周年を振りかえり、宮沢和史「作曲した記憶がない」

2022.6.16 08:30

発表から30周年となる『島唄』を作詞・作曲した宮沢和史

(写真6枚)

沖縄返還50周年を迎えた2022年は、ロックバンド・THE BOOMが沖縄を歌ったヒットソング『島唄』の発表から30年。その作者でミュージシャンの宮沢和史にその誕生の裏側や沖縄に寄せ続ける思いなど、話を訊いた。

取材・文/岡村詩野

■「作曲した記憶がないくらいすらすらと・・・」(宮沢和史)

──まず、「島唄」を作られたときのお話から聞かせていただけますか?

もともと、沖縄に通うようになって何回目かに「ひめゆり平和祈念資料館」に行きまして、自分が無知であることにあらためて気づかされたんですね。資料館の帰り際にアンケートを書いたんですけど、「沖縄戦で生き残られたひめゆり学徒隊のみなさんに恥ずかしくない曲を書きます」みたいなことを誓って・・・。

──それからどれくらいの期間で作曲を?

東京に帰ってから、割とすぐに作りました。琉球音階を用いつつペンタトニック(注:五音音階のこと。1オクターブに5つの音が含まれる音階)で。ところが結構すらすらとメロディもできて、歌詞もできて。だから作曲した記憶があんまりないくらい、どのぐらい時間がかかったのか覚えてないくらいすぐできたんです。

『沖縄からの風コンサート2021』(2021年11月24日@東京 LINE CUBE SHIBUYA)より大城クラウディアと共演した宮沢和史 写真/ほりたよしか

──そんなに早く仕上げられたのですね。そもそも何がきっかけで沖縄や琉球の文化・民謡に興味を持たれたのでしょう?

僕が沖縄にのめり込むきっかけは音楽だったんです。僕のひと回り以上世代が上の方々、例えば坂本龍一さん、細野晴臣さん、久保田麻琴さん、矢野顕子さん・・・、彼らが最初に沖縄や琉球音楽の魅力に気づかせてくれたんですね。自分たちの作品のなかに沖縄らしさを出して、細野さんの作品なんかは特にエキゾチックで独創的で・・・。それらをむさぼるように聴いていたんです。

その後、大工哲弘さんや知名定男さんらのように沖縄出身の音楽家の方と交流するミュージシャンも増えてきていました。それで、とにかく僕も現地に行ってみたい、沖縄っていう島でどうしてこんなに美しい歌が生まれるんだろう? リズム、メロディ、歌詞・・・、音楽を構成する要素すべてが魅力的でその謎を知りたい、そう思ったのがきっかけです。

■「美しい音楽が生まれる沖縄に魅せられた」(宮沢和史)

「僕が沖縄にのめり込むきっかけは音楽だった」と宮沢和史
「僕が沖縄にのめり込むきっかけは音楽だった」と宮沢和史

──それで実際に足を運んでみたと。

ところが、いざ行ってみると、自分が想像していた以上に戦争の爪痕も残っていて。そこに気持ちが持って行かれてしまったんです。沖縄戦っていうのは、つい最近の話だなって。僕の故郷、山梨県の中心部も空襲にあってほとんど燃えてしまったんですけど、戦争の爪痕を探そうと思っても町のなかにはもうないんですよね。1回リセットされているから。

けれど沖縄は今も不発弾が処理されたり、戦争で亡くなった方の骨が見つかったりするっていう状況なんです。それが僕の沖縄の興味のほぼすべてを占めるようになってきた。ああ、こんなにも辛い経験をしながらも、美しく豊かな音楽が生まれている事実・・・、それに魅せられてしまったんですね。

──なぜ沖縄からそんなにも美しい音楽が生まれるのか・・・。繰り返し沖縄を訪ね、現地の歌を歌うなかで、その回答は明確になったのでしょうか?

いや、まだ明確には出てないかもしれないですね。ただ、美意識が高いっていうのは間違いないと思います。中国から多くを学んできた琉球國は文化教養レベルが高い人々が司る国でした。しかし、琉球王国が解体されるとそんな方々が野に下って(民間生活に入った)、ある意味その歴史のいたずらのおかげで、琉球国が抱えていた公式の芸能・芸術・文学が一般の人にも親しまれたっていうのが大きかったんでしょうね。

──なるほど。

あとはやっぱり、自分たちの島の誇りですよね。何もかもが奪われて燃えてしまっても、手放せないっていう誇り高さを持ち続けている人が多いんです。なのに、日本政府はそういう沖縄の方々に高圧的な態度で接しようとする。沖縄人たちの誇りを踏みにじるようなことをするんですよね。本当は彼らと同じ目線に立つところから会話が始まるはずなんです。そういうことを怠ってきた日本政府は本当に想像力が乏しいと思いますね。

■「沖縄の未来が輝かしいものであってほしい」(宮沢和史)

「見て見ぬふりができない。沖縄のために何かしなきゃって」と宮沢和史
「見て見ぬふりができない。沖縄のために何かしなきゃって」と宮沢和史

──米軍基地が山梨から沖縄に移設された過去の歴史を受け、「僕は沖縄に対して借りがあるんだ」と宮沢さんは以前から話されています。その使命感のようなものもあると言えるのでしょうか?

使命感までは分からないですけど、でも、こうやって僕らが平和な暮らしをしているのも、沖縄の人たちの4人に1人が亡くなった、その犠牲の上に成り立ってると考えたらね、やっぱり見て見ぬふりができないです。沖縄のために何かしなきゃっていう気持ちにはなりますよね。

山梨県にはかつて米軍の海兵隊基地がありましたが、沖縄に移転していて・・・。「僕の故郷・山梨は沖縄とは無縁ではないんですよ」という話をするようにしています。そうすることで沖縄の基地問題も自分ごとに感じてもらえるんではないか? そう期待します。

『沖縄からの風コンサート2021』(2021年11月24日@東京 LINE CUBE SHIBUYA)より 写真/ほりたよしか

──最近は、音楽にとどまらないさまざまな活動にも取り組まれています。

沖縄で三線に使う琉球黒檀の植樹活動もやっているし、沖縄の民謡を後世に残すための『唄方プロジェクト』という活動もやっている。こういう誰もやっていないことをやることが、今の僕の音楽活動のひとつになっています。50年後、100年後に沖縄の未来が輝かしいものであってほしい、芸能が華やかであってほしいっていうのを夢見る活動です。


『島唄』30周年を記念したコンサートが全国で開催。大阪公演は、8月7日に「サンケイホールブリーゼ」(大阪市北区)にて、チケットは7000円で7月9日に発売される。また、宮沢に加えて夏川りみ、大城クラウディアが出演した『沖縄からの風コンサート2021』の模様をおさめたDVD/ブルーレイが発売されたばかり。「島唄」「涙そうそう」など沖縄から生まれた名曲を披露している。

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