綾野剛&佐藤浩市「この作品世界を生きるべきだ、という匂い」

2019.11.2 20:00

瀬々敬久監督作品『楽園』に出演する綾野剛(右)と佐藤浩市

(写真5枚)

「『正義』を振りかざして追い詰める構図」(佐藤浩市)

──あのシーンを観ていて、ふたりは同じタイプの人間なのだなと思いました。ふたりにだけ通じ合うものがあるといった感じの。

綾野「それは容疑者とか犯罪者とかになってしまう人間としての共通点ではなく、ある種の『底辺を知っている人間同士』という共通点のように思います」

佐藤「最初に言ったように、今回、瀬々監督が描こうとしたのは『罪と人』で、弱者であるがゆえに罪を犯してしまう人間だと思うんです。状況として負の連鎖が一番不幸なカタチで起こり、犯罪に導かれていってしまう。では、なぜ負の連鎖は起こるのか。連鎖を断ち切る術はなかったのか。豪士と善次郎が同じタイプの人間に見える、合致して見えるというのは、映画のなかでひとつのテーマが貫かれているからでしょう」

──綾野さんは、瀬々監督が描こうとしたものについては、どのようにお考えですか?

綾野「ちょっと違う視点で言わせてもらうと、それは『中央と地方の関係』だと思います。日本は島国で情報が命みたいなところがあって、今なら情報は一瞬で伝わるから、だったら中央、つまり東京と地方は同じ条件で考えていいのかというと、決してそうはならない」

「ある種の『底辺を知っている人間同士』という共通点」と語った綾野剛

──確かにそうですね。

綾野「人の流れもUターンとかIターンとかで都市部と地方を結ぶけど、ふたつの場所はやはり違う。だからこそ、人間が望む『楽園』とはどういうことなのかを、東京と地方のそれぞれで見つめ直さなければならない。そういう考えが作品の根底にある気がします」

──劇中で、駅伝のアンカーである杉咲さん演じる少女が、地元を離れて東京へ行く意味はそこにあるのでしょうね。佐藤さんは、先ほどおっしゃった人を犯罪に導いてしまう負の連鎖についてはどう捉えられてますか?

佐藤「理屈じゃないんでしょうね。善次郎の場合は、疎外される村は彼自身の故郷で、彼は決して『よそ者』ではない。ところが、ちょっとしたボタンの掛け違いでどんどん追い詰められていく。少し距離を置いて見ると、バカバカしいって思うことをいい歳をした大人たちがやってしまう。これって理屈では説明のしようがない。でも、だからこそ、いつ誰の身に降りかかっても不思議じゃない。集団の恐ろしさですよね」

綾野「やっぱり、その土地が持つ歪みってあると思うんですよ。1度ボタンを掛け違うと、掛け直そうとすることすら許さない。ただひたすら追い詰める。でも、考えたら、土地と言うか、地域だけのことじゃないですね。会社でも学校でもありますよね。なにか自分たちの『正義』を振りかざして追い詰める。そういう構図ですかね」

「いつ誰の身に降りかかっても不思議じゃない」と佐藤浩市

──結局は、そこに住む人間たちの人間性の問題ですよね。

佐藤「豪士に対して根底にあるのは村人の移民に対する差別だし、善次郎を追い詰めるものは、理屈ではないなにかの、でもやはり差別と言っていいものだと思います。ふたりに向けられた差別は別モノだけど、根底では同じところに集約されていく。瀬々監督はどこか希望を抱いて『楽園』という題名をつけたのかもしれませんが、僕は『楽園』というタイトルに残酷なものを感じるんです。結局、楽園を失くしていったのは自分たちじゃないのかという、そういう思いですね」

──先ほど綾野さんが「土地の持つ歪み」とおっしゃいましたが、僕は映画を観ていて、豪士も善次郎も実はこの土地が求めた生贄(いけにえ)のような気がしました。

佐藤「うん、それもひとつの答えとしてあると思います。なにが正解ということはなくて、観てくださった人それぞれが考えてほしいです。それに値する作品にはなっているので」

綾野「駅伝のタスキは、今は映画を観てくださる方に託してあります。受け取っていただけたら幸いです」

映画『楽園』

2019年10月18日(金)公開
監督:瀬々敬久
出演:綾野剛、杉咲花、佐藤浩市、ほか
配給:KADOKAWA

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