「消えゆく灯りを守る」大阪・八尾を灯す、日本唯一の女性ランプ職人

2019.6.7 21:00
(写真8枚)

消えゆくランプの「灯り」を守る、
大阪・八尾の、日本唯一の女性ランプ職人

町工場が建ち並ぶ大阪・八尾に、大正13年(1924年)から続くハリケーンランプの会社「WINGED WHEEL(ウィングドウィール)」がある。その代表をつとめるのは、日本で唯一のランプ職人・別所由加さん。かつては世界中に輸出展開された別所ランプと、その火を継承するべく奮闘する由加さんに迫った。

別所留吉さんが開発、日本初の国産ハリケーンランプ

ハリケーンランプとはオイルランプの1種で、嵐のなかでも炎が消えないところからその名前が付けられた。キャンプや登山などのアウトドアや暖房器具で活用されている。

「ランプの灯は非日常的で今、やわらかい光のアナログ感が見直されている。大切な人との時間を豊かにするツールとしても人気が出ている」と由加さん。

国産ハリケーンランプは、由加さんの曽祖父・留吉さんが開発した。日本の一般家庭の灯りがオイルランプだった大正時代、別所家に国産ハリケーンランプ製造の話が持ち上がったのだ。

日本製としては、日本で唯一となった「WINGED WHEEL」のハリケーンランプ

「大正13年、留吉がハリケーンランプの開発を始めた。留吉は職人気質で『どうせ作るなら、最高のものをつくったろ!』とやる気になって。10年もの研究・開発を重ねて誕生したのが、『帝(みかど)ランプ』と呼ばれる形のハリケーンランプ。構造、形は当時のまま継承しています」と由加さん。

1933年(昭和8年)、留吉さんを経営者に「合資会社別所ランプ製作所」として本格的なハリケーンランプの製造が開始。「WINGED WHEEL」という名前で、国内だけでなく、世界中に輸出されるようになった。

隆盛を極めた「別所ランプ」、絶滅の危機へ

1955年にベトナム戦争が勃発すると、ハリケーンランプの需要が高まり、従業員は200人となり、1日あたりの生産台数2000台と工場がフル稼働。1975年の終戦まで、好景気が続く。

好景気だった頃の「合資会社別所ランプ製作所」(提供:WINGED WHEEL)

しかし終戦から3年、電気の普及やオイルショックなど時代の流れとともにハリケーンランプは衰退。そして、2003年に「別所ランプ製作所」は事実上の倒産となる。国産ハリケーンランプは絶滅するかと思われたが、母・二三子さんが別会社を立ち上げ、なんとか危機を乗り越える。

由加さんは「当時は夜逃げ同然に家を出て、すべてを失った。そのとき、私は小学校6年生だった。母はなぜ倒産することになったのかすべて説明してくれた。そこから立て直していく母の姿、会社の現実をずっと見てきた経験があるから今、精神的に強くなれたと思う」と振りかえる。

大学を中退し、ランプ職人になることを決意

その4年後の2007年、二三子さんの努力が実を結び、「株式会社WINGED WHEEL」を設立。しかし2011年、二三子さんが頼りにしていた職人さんが亡くなってしまう。当時、音楽に夢中だった由加さんは芸大に進学、大学生活を謳歌していた。

「なぜか、ランプがなくなることは絶対にアカンと思ったんです。だから、私が家業を継ごうと。でも母は猛反対! 指の切断事故に遭った職人さんを何人も見てきているから、女の子がケガをしてほしくなかった。ただ、私が1度決めたらむちゃくちゃ頑固なことは知っているので、最後は入社させてもらえた(笑)」(由加さん)

左から、母・別所二三子さん、由加さん、工場長の杉中さん

大学を中退して職人の世界に飛び込んだ由加さんだが、すぐさまその世界の厳しさを知ることになる。「見て覚えろ、体で覚えろ」という昔気質の職人たちにまったく相手にされなかったのだ。

由加さんは「最初は無視されてばかり。そりゃそうですよね。当時は金髪のオネエちゃんでしたから(笑)。まずは化粧をやめて、作業着を着て、私の本気を知ってもらった。それでぶつかっていったら、だんだん受け入れてくれるようになって。仕事を教えてくれた瞬間はホントにうれしかった」と、当時を振りかえる。

「WINGED WHEEL」
住所:大阪府八尾市北亀井町2-5-5

映画『アラジン』

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