「トキの涙」は台本にはなかった…「説明しない朝ドラ」ばけばけの集大成

『ばけばけ』第65回より。松江大橋のたもとでヘブン(トミー・バストウ)と話すトキ(髙石あかり)。表情と佇まい、わずかな台詞からトキとヘブンに恋心が芽生えたことが伝わる(C)NHK
連続テレビ小説『ばけばけ』(NHK総合ほか)の前半最終週、第13週「サンポ、シマショウカ。」が放送され、ついにトキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)が結ばれた。
言葉の通じないトキとヘブンが、怪談という共通言語を得てしだいに心を通わせ、気づけばいつしか互いにかけがえのない存在になっていた。
年内最後の回となる第65回では、散歩に行くと言ったヘブンにトキが「ご一緒してもよろしいでしょうか」と言い、駆けて戻ってきたヘブンが「はい」とだけ答える。ふたりは夕暮れの宍道湖を語らいながら散歩し、初めて手をつなぐ。これが前半のラストシーンだった。

『ばけばけ』は「いちばん大事なこと」を直接的な言葉にしない。表情やしぐさ、声色といったノンバーバル(非言語)な表現で人物の心情を描いてきたドラマだ。その作劇哲学が、前半のクライマックスとなる13週では極まっていた。
13週の演出を担当したチーフ演出の村橋直樹さんに、この「言葉で説明しない朝ドラ」が生まれた経緯を聞いた。
■「ながら見」の役割は、テレビドラマが担うものではなくなっていく
1961年、第1作『娘と私』に始まり、今年で放送64年となるの国民的ドラマシリーズ「朝ドラ」。その作劇スタイルは時代と共に変わり、進化を続けている。
そうした変遷を踏まえたうえで、村橋さんは「たまたま『朝ドラ』という枠ではあるけれども、普通にドラマ作りをやっているだけ、という感覚です」と話し、こう続ける。
「家事をしながら『ながら見』できることが前提だった昔の朝ドラは、本当に『モノローグドラマ』だったわけですよね。心情表現も、台詞やナレーションによる直接的なものになっていて、それが当時の視聴者の皆さんには受け入れられていた。しかし今、『ながら見』の役割は、テレビドラマが担うものではなくなっていくと、僕は思っています」。

■ 時代によって「連続テレビ小説」も変わっていかなければならない
さらに村橋さんは、『ばけばけ』が明治時代を生きた小泉セツさんとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)をモデルにしたドラマであるがゆえの作劇であるとも話す。
「言葉ではないところでわかりあってきた夫婦の物語を描くうえで、他のところだけ妙に言葉でわかりあったり、伝えあったりという作劇にしてしまうと、お芝居のトーンが合わないだろうなということは、制作の最初の段階から考えていました。
脚本打ち(合わせ)をするなかでも、『大丈夫です。視聴者に伝わりますよ』というやりとりをその都度繰り返しながら、ノンバーバルな部分を意識的に調整しています。なので、もしかしたら普段より『説明しない』のハードルが上がっているのかもしれません。時代によって『連続テレビ小説』も変わっていかなければ、というメッセージを僕なりに持っているつもりではあります」
■「トキちゃんに全部任せる」髙石あかりに委ねたシーンが2つあった
「言葉で説明しない感情の動き」といえば、特に第65回、花田旅館の前でトキとヘブンが別れたあと、トキが泣いてしまうシーンが心に残る。それを見ていた銀二郎(寛一郎)がトキの本心を悟り、身を引くことを決めるという大事なシーンだ。実はこのシーンの台本は、トキとヘブンがなかなか離れることができない、というところで終わっていたのだという。
「このドラマのなかで、『トキちゃんに全部任せる』と髙石あかりさんに委ねたシーンが2つだけあります。1つ目は、トキがラシャメンを覚悟で女中になると決めた第7週の第31回。給金の半分を三之丞(板垣李光人)に渡し、もう自分はラシャメンとして生きていくしかないのだと、トキが帰り道を歩くシーンです。
そしてもうひとつがこの、第65回の橋のたもとのシーン。具体的な指示は何もせずに、『ヘブンさんが去ったあと、ここでトキちゃんは何を感じるだろう』とだけ、髙石さんに言いました。
台本のト書きにはトキが泣くという指定はなくて、『トキとヘブンは、橋のたもとまで行くが別れがたく・・・』とだけありました。ふたりが別れた後、何か違う感情が出てくるだろうなと考えて、現場でシーンの続きを足しました」。

■ 髙石あかりもそこで気付いた「あ、私好きだったんだ」
さらに、「ヘブンが曲がり角を曲がった後のトキのショットは、カットをかけずにずっとカメラを回していました。髙石さんは瞬発的に気持ちを出すのも上手ですが、時間をかけると深いところの感情が出てくるタイプの俳優さん。あのシーンでは、本編で使用している涙を流すカットまでに3分くらいかけています。
前段の、言葉ではないヘブンとのやり取りを受けて、僕は『全部任せる』と言ったので、おそらく泣くだろうなとは思っていましたが、トキのなかの感情が見事に出たシーンだったと思います。カットがかかった後、髙石さんは『え、なんで今私、泣いたんだろう』と自分でも驚いていて。『あ、私好きだったんだ。ヘブンさんのこと』と言っていました」と村橋さん。
髙石あかりがトキとして生き、そこに立っていた芝居が響いた第13週。「橋のたもとで初めてトキがヘブンへの気持ちをはっきりと自覚した」ということが、視聴者にも確かに伝わった。
次週、第14週「カゾク、ナル、イイデスカ?」では、ヘブンと生きていくと決めたトキの決断を聞いた松野家に、ひと騒動が起こる。年明けの放送は1月5日(月)から。
取材・文/佐野華英
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