あの「アンクルトリス」を世に出した…「伝説の宣伝部」リーダーに迫る展覧会、兵庫で

3時間前

開高健が編集を務めたPR誌『洋酒天国』(1957年からは山口瞳も担当)、人呼んで“ヨウテン”は今もってPR誌の金字塔。各号の表紙と裏表紙(カラーコピー)を並べて見せる丁寧な展示

(写真9枚)

「トリスウイスキー」のマスコット・アンクルトリスの広告を世に送り出した「寿屋」(現:サントリーホールディングス)の宣伝部といえば、イラストレーターの柳原良平をはじめ、作家の開高健、山口瞳ら、そうそうたる社員が揃っていた伝説的な部署として、数々の記事や書籍などで今もって紹介される機会が多い。

しかし、彼らを取りまとめていた宣伝部長・山崎隆夫のことがあまりに忘れ去られていないか。しかも、山崎は大阪を代表する洋画家・小出楢重の弟子にして、楢重のアトリエを引き継ぎ、毎年のように絵画作品の発表を続けていた美術家でもあったのだ。

『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』展示の様子
『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』展示の様子

第一線で活躍した広告マン=会社員でありながら、画家であることを決して手放さなかった山崎隆夫。その画業と広告の仕事の両面を紹介する展覧会『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』が現在、「芦屋市立美術博物館」(兵庫県芦屋市)で開催中だ。

山崎が寿屋宣伝部にとって決して欠かすことのできないキーパーソンであったことがよくわかるとともに、学生時代から描きはじめて、1991年に85歳で亡くなるまで発表を続けた絵画作品の変遷も知れる…資料や解説もふんだんに用意された、かつてない展覧会となっている。

トリスウイスキー広告「人間らしくやりたいナ」1961年、株式会社寿屋(絵:柳原良平、コピー:開高健)
トリスウイスキー広告「人間らしくやりたいナ」1961年、株式会社寿屋(絵:柳原良平、コピー:開高健)

■ 超一流の広告マンとして

展覧会は、山崎の人生をたどっていくような構成。やっぱり気になる広告制作の面でいえば、戦前(1930年)に三和銀行に入社、戦後に当時の頭取からその才を見込まれて広告制作の専任となり、そこに「京都市立芸術大学」で学んでいた柳原良平がバイトで入ってきて、そこから後々まで山崎の右腕となるなど、朝ドラになりそうなエピソードが目白押し。

そもそも、将来、広告宣伝の道に進むとはわかっていなかったはずの大学時代の卒業論文が「広告絵画の芸術化と表現形式の探求」という、将来を予見させるものだったというのも驚き。この卒論の現物もしっかり展示されている。

三和銀行時代から山崎が手がけた広告の評価は高く、菅井汲、吉原治良、川西英ら、周辺の美術家を次々と起用するディレクター的手腕も存分に発揮。左は菅井汲、右は川西英がイラストを担当
三和銀行時代から山崎が手がけた広告の評価は高く、菅井汲、吉原治良、川西英ら、周辺の美術家を次々と起用するディレクター的手腕も存分に発揮。左は菅井汲、右は川西英がイラストを担当

そして、請われて移った寿屋宣伝部では、第一線の人材を集めるとともに、自由にみんなの力を発揮させたことで、広告界で一時代を築く。

ここでもたくさんの資料が展示されるなか、その流れで紹介される山崎の絵画もあり、これは開高健や柳原良平が大切に持っていたというもの。画家でもあり続けた山崎宣伝部長(サン・アド設立後は山崎社長)とその愉快な仲間たち、その交流の一端が垣間見えるエピソードだ。

右は開高健の新築祝いに贈ったという山崎の《ある全集の静物》。左も開高健旧蔵作品、中央は柳原良平旧蔵作品
右は開高健の新築祝いに贈ったという山崎の《ある全集の静物》。左も開高健旧蔵作品、中央は柳原良平旧蔵作品
サン・アド草創期の面々 1967年(「ある会合 月曜日の企画会」『サンデー毎日』1967年4月30日号より。前列左:開高健、右:矢口純。中列左:山崎隆夫、右:坂根進。後列左:柳原良平、右:山口瞳) 
サン・アド草創期の面々 1967年(「ある会合 月曜日の企画会」『サンデー毎日』1967年4月30日号より。前列左:開高健、右:矢口純。中列左:山崎隆夫、右:坂根進。後列左:柳原良平、右:山口瞳) 

■ 生涯描き続けた「画家」として

『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』展示の様子
『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』展示の様子

美術面でいえば、学生時代に所属した神戸高商の画家クラブ・青猫社や、小出楢重に師事した時代の初期絵画から始まって、モダンアートへと接近した後、だんだんと独自のスタイルを見出していく様子が紹介される。

初期の作品は戦前~戦中にあたるため、時代を反映したような影が強い絵画が少なくない。戦後は多くの芸術家との交流を深めながら、数々の美術協会や公募展に関わりつつ、自身ではあくまでも絵画を追求。特に60代になってからは、富士山をモチーフに具象と抽象の両方を行き来しながら、1作品ごとにスタイルを変えながら描いている。気づけば自在な境地に到達していたといった感じにも捉えられそうな、晩年の作品も数多く展示されている。

左は《楷書富士図(白・黒)》、右は《楷書富士図(紅・白)》。いずれも71歳で描き、79歳であらためて手を入れたという作品
左は《行書富士図(白・黒)》、右は《楷書富士図(紅・白)》。いずれも71歳で描き、79歳であらためて手を入れたという作品
同時代の作家と並ぶ芦屋市立美術博物館ならではの展示も。壁面中央に山崎隆夫、左に須田剋太、右に津高和一の作品
同時代の作家と並ぶ芦屋市立美術博物館ならではの展示も。壁面中央に山崎隆夫、左に須田剋太、右に津高和一の作品

会期は11月16日まで、観覧料は1000円。「芦屋市立美術博物館」の庭には後に山崎隆夫が譲り受け、25年の間、暮らしもした小出楢重のアトリエが復元されている。こちらもお見逃しなく。

取材・文・写真/竹内厚

『山崎隆夫 その行路 ある画家/広告制作者の独白』

期間:2025年9月20日(土)~11月16日(日)
時間:10:00~17:00 月曜休館、ただし月曜日が休日の場合は翌日休
会場:芦屋市立美術博物館
料金:1000円
電話:0797-38-5432

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