月亭方正、転身のきっかけ「目の前にあまりに大きな壁が…」

2024.3.31 17:00

『噺家生活15周年記念 月亭方正 独演会』を開く月亭方正(3月15日・大阪市内)

(写真8枚)

2008年に落語家としてデビューし、2013年には芸名も「山崎邦正」から高座名へと変わった月亭方正。そんな方正が5月10日「なんばグランド花月」(大阪市)で、『噺家生活15周年記念 月亭方正 独演会』を開催する。テレビタレントとして活躍する裏側で抱えていた苦しみ、落語をやるおもしろさ、そして偉大な先輩たちについて、方正に話を訊いた。

取材・文/田辺ユウキ

■「壁があまりに大きすぎて、前が全然見えへん」

──方正さんは40歳のとき、自分が目指していた芸人像と現実の違いを感じたことから、一念発起して落語の世界へ足を踏み入れたと聞きました。

今だから言えるんですけど、テレビに出ることがずっと苦しかったんです。ストレスを感じていて、常に綱渡りしているような人生でした。そしてそれを発散するために、テレビの仕事が終わったらすぐに遊びに行ってお金をたくさん使っていました。そうすることでしか自分を報えなかったんです。でも落語をやり始めてから全然お金を使わなくなりました。それはやっぱり落語をやることでちゃんと報われているからなんです。

「芸人としての道が見つからんかった」と振りかえる方正(3月15日・大阪市内)
「芸人としての道が見つからんかった」と振りかえる方正(3月15日・大阪市内)

──落語家になる前は営業で舞台に上がっても最初は盛り上がるけど2分くらいで尻すぼみになっていたそうですね。一方、後輩芸人はみんな持ち時間でずっと笑わせていて、それを見てハッとしたそうですね。

当時は「俺はほんまに芸人なんか」となりました。自分がこの世界に入ったときはテレビの時代でしたし、そこに出られていたらええやろうと考えてたんです。そのままテレビの世界で、若い子らにイジられ続けたら食っていくこともできるし。ただ、たとえば今田(耕司)さん、東野(幸治)さんはMCとしてポジションを築いているから、周りがどれだけ変わってもやっていけるじゃないですか。僕はその周りの側やから結局は人頼みになる。そうなるとさっき話したように綱渡りの人生になるんでんす。じゃあ芸人としてどうしようかと模索するんですけど、僕の目の前には松本人志さんがいるんで…。壁があまりに大きすぎて、前が全然見えへんのですわ。あの人はホンマに天才ですから。

「僕の目の前には松本人志さんが…。あまりに大きすぎて、前が全然見えへん」と方正(3月15日・大阪市内)
「僕の目の前には松本人志さんが…。あまりに大きすぎて、前が全然見えへん」と方正(3月15日・大阪市内)

──背中が大きすぎて前がなにも見えない、と。

今の若手は、松本さんの影響を直接的に受けてる子が少ないからあの背中も見ずにやれる。だからどんどん出てこれるんですけど、僕らの世代はあの大きい背中がずっと近くにあったから、自分が進むべき道が見えへんかった。もし「ごっつ」(『ダウンタウンのごっつええ感じ』)があのまま続いていたら、今田さん、東野さんも今とは違うスタイルになってたんちゃいますか。僕はずっと「ガキ」(『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』)に出続けてるから、「芸人としてどうしようか」と思ってもなかなか道が見つからんかった。でもそれから落語を勉強するようになって、そこで気づいたんです。「俺は形があるものをおもしろくするのはうまくできる人間やから、落語はやれるんちゃうか」と。

──というと?

『噺家生活15周年記念 月亭方正独演会』

日程:2024年5月10日(金)
会場:なんばグランド花月
料金:1階席4000円、2階席3500円(当日は各500円増)

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