神戸で愛され57年「野球カステラ」の店閉店…最終日は40分で完売

3時間前

「久井堂」の兄弟とお母さん(2025年9月28日)

(写真11枚)

グローブやバット、ボールなどの形をした神戸名物「野球カステラ」を手焼きする煎餅屋「久井堂」(神戸市兵庫区)が、9月28日に閉店した。

最終日には、最後に味わっておきたい、という人々が朝6時半ごろから並び、8時の開店から40分ほどですべての商品が完売。完売したあともシャッターが閉まるまで、多くの人が「今までありがとう」と声をかけていた。

「久井堂」(2025年9月28日)
「久井堂」最後の日に並ぶ人たち(2025年9月28日)

煎餅職人の宇野定男さん(以下、お父さん)は、25歳(昭和43年)のときに「久井堂」を開業。以来、お母さんと二人三脚で煎餅屋を営んできた。

そして、3年ほど前から体調がすぐれないことが増えたお父さんを、家族でサポートしながら営業を続けてきたが、8月5日にお父さんが亡くなった。82歳だった。

野球カステラを焼く生前のお父さん(2024年5月撮影)
野球カステラを焼く生前のお父さん(2024年5月撮影)
「久井堂」のお父さんに集まったメッセージ(2025年9月28日)
「久井堂」のお父さんに、あたたかいメッセージが集まった(2025年9月28日)

そのあと、約1カ月限定で、週に2〜3日のペースでお店の営業を再開。煎餅や野球カステラを焼くのは、次男の克也さん。

克也さんは、「自分が煎餅を上手に焼けるようになったら、父もちょっとは楽ができるかなと思って」と、5年ほど前から会社員として働きながら、お父さんを手伝ってきた。

野球カステラを焼く弟と、袋詰めするお母さん(2025年9月28日)
「久井堂」最後の野球カステラづくり、野球カステラを焼く弟さんと、袋詰めするお母さん(2025年9月28日)

「弟は器用で、親父の味に近い味で焼けるようになったので、皆様へ57年間の感謝の気持ちを込めて、残された家族3人でやってみようと、最後にひと月、営業することにしました」と話すのは、お兄さん。

「久井堂」で野球カステラを焼く弟さん(2025年9月28日)
「久井堂」で野球カステラを焼く弟さん(2025年9月28日)

2024年3月に取材したとき、克也さんは「店は継がない」と話していた。お父さんからは、「スーツを着て、クーラーのあるサラリーマンになれ」と教えられて、兄弟はふたりとも、言われた通りサラリーマンに。

だが「継いであげられなくてごめんね」という気持ちがどこかにあり、この1カ月の営業は、ふたりにとっても、とても意味があるものだったという。

「久井堂」の野球カステラ(2025年9月28日)
「久井堂」の野球カステラ(2025年9月28日)

そして克也さんの気持ちは変化。お父さんが亡くなったとき、野球カステラなどの焼き型を譲って欲しいという話があったが断り、全て自宅に保管することを決めた。

一旦お店は閉めるが、「親父は言わなかったんですけど、継いで欲しかったんやろなと感じることもあったので、約5年後の定年退職したあとにできたらしようかな」と、今は考えていると言う。

「久井堂」(2025年9月28日)
「久井堂」外観(2025年9月28日)

「材料も高騰していますし、手焼きでコストパフォーマンスは悪いですし、弟がそのときにできるかどうかまだ白紙なんですけど、可能性だけは残しておきたいし・・・その時は応援したい」とお兄さん。5年後のことは未定だが、もしかしたらまた久井堂の野球カステラが食べられるかもしれない。

「久井堂」の野球カステラは40分で完売に(2025年9月28日)
最終日「久井堂」の野球カステラは40分で完売に(2025年9月28日)

昔は何十軒もあったようだが、現在、神戸市内で野球カステラを焼くお店は、久井堂が閉店して8軒に。そのほとんどの職人が70歳以上、と高齢化が進んでおり、後継者がいないお店も多く、10年後は何軒残っているかわからない状況だ。

取材・文・写真/太田浩子

「久井堂」57年の歴史に幕(2025年9月28日)
「久井堂」57年の歴史に幕。シャッターの前で(2025年9月28日)
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