オール巨人が歩んできた漫才道「お客さんに見てもらってなんぼ」

2022.6.26 09:00

書籍『漫才論:僕が出会った素晴らしき芸人たち』を上梓した漫才師・オール巨人

(写真5枚)

「昔の人はホンマ、上手かった」(オール巨人)

──巨人師匠は、吉本新喜劇の黄金時代を築いた喜劇俳優、故・岡八朗さんの弟子になる前、実は噺家さんを目指してたということも書かれています。

噺家になりたいとかではないけど、阪神くんと一緒に(三代目)林家染三師匠のところに稽古に行っていましたから、このまま噺家になるのかなぁ、と。とにかく、芸能界というか、芸界に入りたいと思ってましたね。

──染三師匠って結構変わった方だったという噂がありますけど。

めちゃめちゃでしたね(笑)。上方落語会にも入ってなかったんちゃうかな? 異端児で、でも実力はすごかったですよ。阪神も落語は上手かった。モノマネもできたし。でも練習せえへんからな(笑)。それが問題やな。

2019年には「紫綬褒章」を受章したオール阪神・巨人(提供:吉本興業)

──でも、染三さんの門下に入って、高座名ももらっておきながら、なぜ漫才の方に向かわれたのか。岡八朗さんのお弟子さんになる前から漫才志向だったと書いておられますが。

そもそも染三師匠の門下に入ろうと思ってたんやないんですよ。噺家さんになったという形にはなってますけども。要は「しゃべり」を勉強しに行ってたんですよね。あのままやったらホンマに噺家になってたかも分かりませんけど。

『ヤングおー!おー!』のプロデューサーだった林誠一さんがやってた『ズッコケ学芸会』という番組があって。そのときにアマチュアで出てた僕と阪神くんに、「お前、その背の低いのと漫才やれ」って言われて。その言葉がなかったら、まず阪神くんと組んでないですね。あの人が僕らの縁結び。

──ところで、あの頃の漫才師の印象っていうのはどうでした?

三枝師匠(現・6代目桂文枝)、(笑福亭)仁鶴師匠がすごかったですから。当時は漫才をやりたいよりも、噺家になりたいという人の方が多かったと思います。

──確かに仁鶴師匠と三枝師匠は一世を風靡してましたからね。

ホンマにすごかったですからね、あの2人は。なにをやっても面白い。テレビも当たる、舞台も上手い。それに、ギャグも山盛りあったしね。だから噺家になりたいなって思う人はたくさんいたと思う。けど、林さんが「お前は座ってやる芸人やない」と、阪神くんと組んだらおもろいからって。

「当時は漫才よりも、噺家になりたいという人の方が多かったと思う」と巨人師匠

──僕は幼少期から演芸番組がとにかく好きで。夢路いとし・こいし師匠とか、中田ダイマル・ラケット師匠とか、子ども心に大笑いしてたんですけどね。でも巨人師匠は、あまり面白いと思わなかったと著書で書いてられます。

この世界に入ったときは、そうおもろいと思わへんかったですよ。上手さもわからない。やっぱりね、自分の方がおもろい、上手いとか思ってたんかな。まぁ、間違った認識ですね。ああいう漫才じゃなく、まだ見えない理想を求めてたかも。

今の若手とかNSCの学生とか、いとこい先生の漫才がおもろい言う子はいてないと思いますよ、たぶん。あの面白さ、上手さを理解できない。昔の人はホンマ、上手かったです。「こんなん俺らもできるわ」って思ってたけど、全然できない。

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