【新連載】春岡勇二のシネマ重箱の隅

vol.1〜映画『俳優 亀岡拓次』より、横浜監督の映画愛を感じさせる「遊び」
現在公開中のジョニー・デップ主演の映画『ブラック・スキャンダル』のなかに、FBIの捜査官が上司に向かって「このままじゃ俺たちは間抜けな警官として街の笑い者ですよ」という台詞があった。そこで聴こえてきたのが「キーストン・コップス」という単語。実はこれ、映画から生まれた言葉だ。「キーストン・コップス」とは、喜劇王マック・セネットの映画会社「キーストン社」で主に1910年代に作られた、大勢の警官たち(コップス)が繰り広げるサイレント・ドタバタコメディのこと。それが今でも「間抜けな警官」を表す言葉として使われている、というわけ。日本で言えば、うっかり者を「八兵衛」と呼ぶようなものだ(違うか?)。
このように、知っていても人生においてはなんの役にも立たないし、観ている作品を理解する上でもほとんど関係がないけれども、もし知っていたらほんの少し映画が面白くなる、そんな小ネタが映画にはちょこちょこ仕込まれている。そんな小ネタを、気づくことのできた範囲でちょっとだけ紹介してみようという試み。
昨年から今年にかけて引っ張りだこの活躍を見せた安田顕が主演して注目を集めた、横浜聡子監督の『俳優 亀岡拓次』。このなかにも、横浜監督の映画愛を感じさせる「遊び」があった。主人公の脇役俳優・亀岡が新井浩文扮する映画監督の作品に出演するシーン、やくざ風の男を演じる亀岡が小さなホテルのフロント前で、半纏を羽織っていかにも旅館の番頭さんのような人に「ミシェル・ポワカールの部屋番号を教えろ」と迫るのだ。渋る番頭さんになおも迫ると、車いすに座った親分らしき人物が「またはラズロ・コヴァックス」と口を挟む。ここまで読んで、「ミシェル・ポワカール、またはラズロ・コヴァックス」なる人物名に思い当たった人もいるだろう。そう、この名前は、ジャン・リュック・ゴダール監督の長編映画デビュー作で、ヌーベル・ヴァーグ(註1)の代表的作品のひとつ『勝手にしやがれ』(1959年)で、ジャン・ポール・ベルモンドが演じた主人公の名前。ヌーベル・ヴァーグ作品に興味を持つ者にとっては忘れられない名前だろう。

ちなみに『勝手にしやがれ』のなかで、ミシェルが変名として用いるラズロ・コヴァックスも実在の映画人の名前。1956年に母国ハンガリーで起きた動乱を撮影した後アメリカに亡命し、1969年にはアメリカン・ニューシネマ(註2)の金字塔的作品『イージー・ライダー』を撮影したカメラマンだ。『勝手にしやがれ』には、ほかにもジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品名である「賭博師ボブ」の名前や、ハンフリー・ボガートのポスターなど、ゴダール監督の映画愛がいたるところに散りばめられているが、俳優を主人公にした映画を撮る際に、ミシェル・ポワカールの名前をどういう形であれ入れ込んだのは、まぎれもなく横浜監督のゴダールへのオマージュであり、映画愛だ。横浜監督は、このポワカールを探すシーンを、亀岡がやくざ風の男と番頭役を入れ替わって演じるという構成で2度も挿入している。劇中の映画がどういう内容の作品なのかは、題名も含めて明らかにされていない。ただ、新井浩文演じる監督が、この映画は実は亀岡が以前出演した『猫ゾンビパニック』という映画を元にしていると話すシーンがあって、そうなると『猫ゾンビパニック』がどこかでミシェル・ポワカールにつながるのか? と思い巡らし、横浜監督に直接そのことを尋ねたら、「そこまでは設定していませんでした」とのこと。まあ、そんなものだ。ただ監督は「でも、そこまで妄想していただいてうれしいです」と笑ってくれた。
文/春岡勇二
註1=1950年代末から60年代初頭にかけてフランスで起こった、映画の常識を打ち破る映画運動のこと
註2=1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な若者の心情を描いた映画作品群
映画『俳優 亀岡拓次』
2016年1月30日(土)公開
監督・脚本:横浜聡子
出演:安田顕、麻生久美子、宇野祥平、新井浩文、染谷将太、ほか
配給:日活
映画『ブラック・スキャンダル』
2016年1月30日(土)公開
監督:スコット・クーパー
出演:ジョニー・デップ、ジョエル・エドガートン、ベネディクト・カンバーバッチ、ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画 R15+
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