【連載vol.17】見取り図リリー、岡本太郎を観る

2022.8.11 12:45
  • 《太陽の塔》の1/50サイズの立体作品と内部模型の展示も。構想スケッチも展示されているのですが、これまで公開されてきたのはパネルとあって、直筆の展示はレアだそう
  • 《傷ましき腕》は1936年にパリで描かれ、戦争で焼失したため1949年に岡本太郎が再制作。芸術表現の自信や不安など、当時の相反する感情を描いたとされています
  • 椅子、鯉のぼり、シャツ…こんなにも岡本太郎先生の作品が日常にあふれていたなんて!
  • 晩年はあまり作品発表をおこなわなかったそうですが、岡本太郎先生はずっと描き続けていました。第6章「黒い眼の深淵」のコーナーでは、「眼」のパワーに圧倒されます
  • 最初の作品が展示されるまでの壁にも注目を。昔の作品を画集から再現してプリントしたもので、どれももう実在しない作品なのです
  • 岡本太郎が活躍したパリのアトリエにあるゴミ集積場から発見された作品。1931〜33年に描いたと推定され、右から《作品A》《作品B》《作品C》
  • 1950年に描かれた《森の掟》、弱肉強食の世界で生きる怪獣。でも大きなチャックが描かれ、それを開くとどうなるのか…想像力がかきたてられます
  • 座っている体験を実感できるように座りづらさを追求した《座ることを拒否する椅子》。実際に座ると異物感がある感じ!
  • 《太陽の塔》と並行して、メキシコで制作された《明日の神話》(1968)。こちらは下絵なのですが、原爆が炸裂した瞬間を描いた「岡本太郎の最大、最高の傑作」であると言われています
  • 左から《二人》(1950年)、《室内》(1951年)、どちらも加筆されてもともとの構図から変化。完成して満足するのではなく、常に上を目指す先生の意志を感じました
  • 《太陽の塔》の1/50サイズの立体作品と内部模型の展示も。構想スケッチも展示されているのですが、これまで公開されてきたのはパネルとあって、直筆の展示はレアだそう
  • 《傷ましき腕》は1936年にパリで描かれ、戦争で焼失したため1949年に岡本太郎が再制作。芸術表現の自信や不安など、当時の相反する感情を描いたとされています
  • 椅子、鯉のぼり、シャツ…こんなにも岡本太郎先生の作品が日常にあふれていたなんて!
  • 晩年はあまり作品発表をおこなわなかったそうですが、岡本太郎先生はずっと描き続けていました。第6章「黒い眼の深淵」のコーナーでは、「眼」のパワーに圧倒されます
  • 最初の作品が展示されるまでの壁にも注目を。昔の作品を画集から再現してプリントしたもので、どれももう実在しない作品なのです
  • 岡本太郎が活躍したパリのアトリエにあるゴミ集積場から発見された作品。1931〜33年に描いたと推定され、右から《作品A》《作品B》《作品C》
  • 1950年に描かれた《森の掟》、弱肉強食の世界で生きる怪獣。でも大きなチャックが描かれ、それを開くとどうなるのか…想像力がかきたてられます
  • 座っている体験を実感できるように座りづらさを追求した《座ることを拒否する椅子》。実際に座ると異物感がある感じ!
  • 《太陽の塔》と並行して、メキシコで制作された《明日の神話》(1968)。こちらは下絵なのですが、原爆が炸裂した瞬間を描いた「岡本太郎の最大、最高の傑作」であると言われています
  • 左から《二人》(1950年)、《室内》(1951年)、どちらも加筆されてもともとの構図から変化。完成して満足するのではなく、常に上を目指す先生の意志を感じました
(写真10枚)

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